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ライブをやるからには観る方もやる方も音楽に精一杯であってほしい。

今回の地震の発生以降、ライブなどのイベントが中止や延期をよぎなくされている。

それは安全面の問題であったり、節電への配慮であったり、理由はいろいろあるだろう。

そして、最近はライブを再開したライブハウスやバンドも多くいると思う。

それとともに多く見かけるのが「チャリティー」として売り上げを寄付するとか会場に募金箱を設置するという言葉。

僕自身、コンビニなどでお釣りを募金したり、赤十字宛に郵便局で募金もしたし、初めて献血もしてきた。
それは、被災地から離れた場所にいてできうる一番効果的な協力の仕方だと思っているから。
少しでも助けになりたいと思うから。
正確には、助けたいというよりも、何かせずにはいられないのに、できることがそれしかないからなのだけれど。
できることなら直接行きたい。
これは、僕の中から出てくる、僕自身の意識であって、誰かがやっているからとか、まわりがみんなやっているからとか、そういうことじゃない、僕自身の思い。


だけど、今日も仕事をしながらラヂオから流れて来たのは、「売り上げの一部を募金したり、募金箱を設置するので、こんな時期に遊びに行くことに抵抗を感じる方も、募金ができれば悪いことをしている意識を持たずに済む」というような内容の言葉だった。

そういう言葉を見聞きするたびに違和感を感じて仕方がない。

僕は、僕自身が募金したり献血したのは、僕が今できる最大限の協力だからであって、決して遊ぶことで感じる良心の呵責を減らすためではない。
コンビニの募金箱にお釣りを入れるのとは意味が違う事に気が付いてほしい。
コンビニに行くことに良心の呵責があるか?
いいえ。
だってコンビニで弁当や飲み物を買う必要があるんだもの。
だからコンビニに行くのでしょう?

ライブを観るのも同じこと。
必要だから行くんだよ。
その人にとってライブを観に行くことが必要だから行く。
それを不謹慎だと責める人が居ることも事実、でも、必要なことであれば責められても行く。
そして遊びに行くなら精一杯遊ぶ。心から遊びたい、それができないなら遊びにそもそも出かけたいと思わない。

遊びに行くたび募金をして、良心の呵責をそのたびに薄れさせて、いずれ感じなくなる......。
それが本当に良いことなの?

僕はしたいから募金してる。それは遊びたいと思うこととほとんど同じ、自分自身の欲求と言ってもいい。


奇麗事を書く、鼻で笑いたければ笑ってもらって構わない。
でも、僕は、これから書くことを大切であると信じている。


音楽をやっている方、この時期でも、もし、本当に、心から楽しめるライブができれば、いずれお客さんは帰ってくるでしょう。だから、今、お客さんが来なくても、その苦しさを耐えるのが震災復興への協力だと思います。そして、精一杯ライブをすることだと思います。精一杯楽しめたら、力が湧きます。力が湧けば動きだします。音楽ができることは寄付ではありません。寄付をするのは人です。だから、人に力を、笑顔を作ってください。そのことに精一杯になってください。
今、ライブをしたら不謹慎だと言われるかもしれない、でも、それに耐えて、精一杯音楽を届けてください。

そして募金をするなら、ライブ収入から「自分自身のお金」としてぜひ募金してください。
僕が仕事をしたお金から募金をしているのと同じように。

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